2014年6月20日(金)

「伊勢神宮式年遷宮」
昨年は伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮の年でした。その最大のメインイベントともいえる遷御の儀に奉拝する機会に恵まれました。遷御の儀は内宮(皇大神宮)が10月2日、外宮(豊受神宮)が10月5日に行われ、私は外宮の遷御の儀に奉拝しました。
静岡県本部の皆さんとバスで神宮を目指し3時半頃に外宮に到着。受付では今夜の天気が雨になるとの予報からレインコートの配布を受けての入場でした。4時には席に着き暗くなり始めた頃雨が降りはじめほとんどの人がレインコートをはおりました。
しかし、儀式の始まる頃になると雨は上がり、その後の降ることはありませんでした。ただでさえ静謐な雰囲気に包まれた外宮が雨でさらに清められ、ますます厳かな空気が漂う中、儀式はクライマックスを迎え、旧宮を出られたご神体が巨大な御簾に覆われて、新宮に入られる様子を目の前で拝見し、私自身も神と一体になったかのごとき清らかさに包まれました。日本人に生まれたことを感謝するひと時でした。


2012年6月6日(水)

「静岡県議会議長就任」
5月17日に開催された静岡県議会臨時会において、伝統ある静岡県議会の第105代の議長に選出されました。大変光栄なことであると同時に、責任の重大さを痛感しております。これもひとえに、私の政治活動をお支えいただいた多くの皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。
議会と行政は車の両輪といわれます。議長としては公平、公正な議会運営を心がけるのは当然ですが、議会の本来の役割は行政のチェック機関であり、適度の緊張感があるのは当たり前のことです。就任時の記者会見でも申し上げましたが、「両輪が同じ方向を向いているとは限らない、多少蛇行しても、振り返ったときにおおよそ真っすぐであれば良い」との考え方で議長職に取り組みたいと思います。
東日本大震災から1年がたったこの時期に海岸線近くに住む私が議長になったのも、運命的なものを感じます。地震、津波対策はもちろん、洪水や土砂災害などの防災対策に積極的に取り組んでまいりたいと思います。
与えられた職務を全力で遂行し、議長の職務を全うしたいと思いますので、変わらぬご支援ご協力をお願い申し上げます。


2012年5月24日(木)

「東日本大震災から1年」
昨年5月から活動しているボランティア団体「浜松やらまいか隊」の隊長として、石巻市の立浜のお祭りに招待され、5月13日に40余名の団員とともに復興に向けた2年ぶりのお祭りに参加してきました。屋台風に焼き鳥やイカ、地元で収穫したホタテなどを焼いて振舞うとともに、神社の神事の役割を受け持ち、神輿の担ぎ手や太鼓の担ぎ手などを担当しました。みんな白装束に着替え、本格的な神事と神輿の繰り出しでした。浜での神楽の奉納舞は5時間に及び、それはそれは見事なものでした。東北の氏子約50世帯の神社のお祭りが、伝統をしっかりと継承していることに、驚きとともに敬意を抱きました。
二年ぶりの祭りは夕方神輿が神社に戻って終了。立浜の地元の皆さんも私たちも感激に包まれた1日でした。しかしながら祭り終了後、「来年も来てくれるかね?」との問いにはっきりとは答えられませんでした。地区の住民だけでは盛大なお祭りは無理なことは参加した全ての人々が感じていたことです。「また相談しましょう」と言ってくるのが精一杯でした。震災は伝統を守る地域のコミュニティーをも崩壊させてしまいました。喜びと悲しみが入り混じった1日でした。


2011年7月27日(水)

「さんりく海の幸支援制度」
5月のボランティアで瓦礫の撤去をした雄勝町立浜は、私たち浜松やらまいか隊にとって特別な地となりました。ボランティア団体を初めて受け入れることになった漁師さんたちは、ボランティアがどんなことをしてくれるのか、安心して迎えられるのか、当初は訝しげに我々を迎え入れた彼らも、我々の真摯に黙々と働く姿を見て次第に心を打ち解けてくれ、今後の漁師としての仕事に対する不安などを語ってくれました。
体を使い、汗をかくボランティアは近いうちにその使命を終えることはわかっていましたが、その後、どんな形で継続した支援活動ができるのかが私たちの課題となりました。立浜は雄勝湾に面し、ホタテやカキ、ほやなどの養殖で約20軒の漁師さんたちが生計を立てていましたが、今回の津波で、船も漁具も養殖用のいかだも全て流されてしまい、今後の生活再建に途方に暮れていた漁師さんに対して資金的な援助はできないかと考えるに至りました。
すでに漁業者や、海産物を扱う会社がオーナー制度のような名前で支援金を広く集めていることを参考にしましたが、ボランティア活動がきっかけでスタートした支援制度はたぶん初めてのことだと思います。ホームページの立ち上げなどの募集のシステムの構築や漁師さんが受け取る支援金の口座の開設まで浜松やらまいか隊のスタッフの手で行いました。
この制度の特徴は、赤十字や中央募金会などのように、どこでどのように使われるのか分からない支援ではなく、雄勝町立浜の養殖組合の事業に使われるという目的がはっきりしていること。浜松やらまいか隊は制度づくりのお手伝いはしましたが、経費や手数料などは一切いただかず、支援金は全額、立浜養殖組合に入金されること。1口1万円の支援金に対して、収穫ができ次第3000円相当の海産物を送らせていただくことなどです。海産物のお届は早くても来年か再来年になりそうです。
ご理解の上ご賛同いただける方は、浜松やらまいか隊のホームページまたは支援制度のホームページにアクセスしていただき申込みフォームからお申し込みください。折り返し、振り込み口座の情報がメールで送られますので金融機関で振り込み願います。


2011年7月27日(水)

「浜松やらまいか隊 その5」
5月のボランティア活動ののち、参加者の意見を募ったところ、多くの方々の、継続した支援をするべきだとの声をいただきました。6月中旬に、再び石巻市を訪ね、ボランティアのニーズの変化や、被災地の状況を調査したうえで、7月と8月に第2陣、第3陣のボランティアを派遣することを決めました。
第2陣の27名は、7月16日夜浜松を出発し、翌17日朝、前回足を踏み入れることの無かった石巻港の周辺を経由して、前回と同じ石巻ボランティアセンターに到着。センターの指示により、北上川河口近くの河北町尾崎(おのさき)に向かいました。ここは、児童生徒の7割が死亡、行方不明になった大川小学校のさらに先にある集落で、地殻のずれと地盤沈下によりあたり一面が海のようになってしまい、道路が影も形もなくなり、砕石を敷いた道路が6月下旬に整備されるまでは船でしか訪れることができなかった場所です。仮復旧した道路も、大型バスは通行不可で、トラックと小型バスに途中で乗り換えて現地に向かいました。ここでの作業は、津波により床下にたまったヘドロを除去するために、床板をはがす事でした。尾崎公民館と個人宅に分かれての作業となりましたが、前回の教訓から今回持ち込んだ、3台の小型チェンソーが大活躍しました。暑さにはまいりましたが、何とか指示された作業を終え、今夜の宿である南三陸町のホテルに向かいました。ホテル到着前に被災した、南三陸町志津川の街を巡りました。最後まで避難を呼び掛けていた遠藤未来さんほか、職員20名がお亡くなりになった鉄骨だけになった防災対策庁舎の横を通り、それぞれ黙とうを捧げました。
二日目は前回瓦礫の撤去をした雄勝町立浜に入り、解体予定の家屋から家財道具を分別して搬出する作業にあたりました。津波をかぶって4カ月もたった衣類や畳はカビなどの菌類が発生し埃とともに不衛生な環境での作業でしたが隊員は不平や文句の一つも言わずに黙々と仕事をしてくれました。
今回は、暑さとにおい、それに大量のハエに悩まされましたが、熱中症やけがもなく無事帰路につくことができました。また立浜の漁師さんたちとは新たな生活生業のための支援制度をスタートさせる最終確認もすることができました。内容は次号にて。


2011年6月2日(木)

「浜松やらまいか隊 その4」
いよいよ作業場所である雄勝町立浜の集落にたどり着きました。雄勝湾に面した漁業の町で、約50世帯150人が暮らしていました。集落のすぐ後ろが山という地形のため、津波での死亡、行方不明者は6人だったとの事。道中の雄勝町中心部に比べると山に向かって住宅が残っていますが、半壊状態で生活は出来ないため、住民は広範囲の避難所に分散して避難しているとのことです。漁港の岸壁から、荷揚げ場などとして使用されていた学校のグランド1面ほどの瓦礫の山を片付けることになりました。これまで住民は車の通行が可能なスペースを用意するのが精一杯で、本格的な瓦礫の撤去は手付かずでした。71人の人海戦術により作業はどんどん進んでいきます。住宅の構造材もカケヤやバールなどを使って解体し、太い梁ものこぎりで切断するなど、瞬く間に広い本来の漁港の姿が戻ってきました。人間一人の力はたかがしれていますが、多くの人が集まったときのパワーの凄さを改めて実感しました。我々が到着したときに、地元の方が「こんなところへ観光バスなんかで来やがって」とつぶやいたのが聞こえてしまいましたが、その同じ人が我々の作業を見て、別の地元の方に、「この人たち凄い、地元の我々も明日から小人数でも集まって作業をしよう」といっていたのを知り、私たちの短期間のボランティア活動も少しはお役に立てたのかなと思うことが出来ました。
さて、作業が終わる頃、海は満潮の時間となり、海水が港の岸壁を乗り越え、片付けをしたあたりまでひたひたと寄せて来ました。岸壁は、70〜80センチ沈下しているそうで、漁業の再開にはまだ多くの困難がありそうです。このあたりにある小規模のほとんどの漁港が被害を受けており、各漁港に所属する船もその大半を失っていることから漁港の集約が必要となると考えられます。そのときには、立浜がその候補地となるだろうと、地元の漁師さんは言っていました。私たちの活動が漁業と地域の再生の少しでも役に立てたなら幸いです。


2011年6月1日(水)

「浜松やらまいか隊 その3」
5月4日、ボランティア活動2日目。朝6時にホテルを出発し9時30分、石巻ボランティアセンターに到着しました。今日の作業は、ここから車で1時間程かかる漁港での作業との指示がありました。ただし、昨日、下見にセンターの職員が行ったのですが、バスが曲がれるか分からない所があり、またボランティアが入るのは初めての場所との事。必要な資材を軽トラックに積み込み、今回は職員の先導で目的地、雄勝町立浜を目指します。
海岸線の道路が復旧していないため、いったん北上し、北上川を下るルートを選択しました。北上川の堤防に出たのは河口から約10キロ地点。ここでも津波が堤防を乗り越えたことが窺われます。さらに河口を目指し釜谷地区に入ると堤防が決壊しており、復旧作業が行われています。バスは河川敷に鉄板を敷き詰めた仮設の道路を進みます。決壊した堤防沿いの集落は、ほんの一部の建物を残して一面水浸し、以前の姿が想像できません。釜谷地区と対岸を結ぶ新北上大橋は、途中で鉄橋が流出しています。我々はこの交差点を右折しましたが、直進して約150メートルのところに、108人の児童と13人の教職員のうちの7割が死亡、行方不明になっている大川小学校があります。ちらっと垣間見た限りでは、立ち入りが制限され、あたり一面は水と瓦礫で覆われ、ほとんど手付かずの状態のようでした。
峠を越え、雄勝町に入りました。山あいの谷は膨大な量の瓦礫で覆いつくされ、町の中心部に進むと、鉄筋コンクリート製の建物以外は基礎部分を残して更地のようになり、その上を瓦礫が覆っています。約4000人が暮らしていた町はさながら、原子爆弾が投下されたあとの、広島の写真を思い出させます。ただ、コミュニティーセンターの屋上に乗ったままの観光バスの姿が、津波によって町が破壊されたことを実感させます。また、この町の市立雄勝病院では3階の屋上に避難した患者と医師、看護師ら約30人が津波にさらわれ、全員が死亡、もしくは行方不明となっています。その雄勝病院を横に見ながら破壊された道路を応急措置で通行可能にした道を 立浜に向かいました。この日、ここに来るまでに、たくさんのカメラのシャッターを切りましたが、そこで暮らした人々がいたことを思うと、胸が痛くなりました。


2011年5月31日(火)

「浜松やらまいか隊 その2」
5月3日、午前9時30分、石巻ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学に到着しました。ここは、長期滞在のボランティアのテントが数多く張られ、自衛隊の野営地にもなっていました。ボランティアセンターの周辺には大きな資材倉庫や配給物資を保管する大型 テントなどがあり、多くのボランティアであふれ、大学の大きな校舎とも相俟って、さながら巨大な基地のようでした。到着報告とともに、派遣先の指示をいただきました。どこで作業をするのかは、当日でないと分かりませんでしたので、少し緊張して待っていました。2グループに分かれることなり、第1グループはひまわり保育園に、第2グループは湊小学校にそれぞれいただいた地図を頼りに向かいました。市街地が近づくにつれ車窓からは、道路わきに積み上げられた土嚢や瓦礫、ひっくり返った車や陸に打ち上げられた船などがそこかしこに見られるようになり、停電により信号は点灯せず警察官が各交差点で交通整理をしています。建物の被害も甚大で津波の恐ろしさを感じさせられるに十分な光景でした。
ひまわり保育園は約100人の園児がいたそうですが、津波による浸水で3日間孤立し、最後は自衛隊のボートで救出されたそうです。これまでに、園舎の床や園庭にたまったヘドロの除去をしてきたそうです。我々の作業はさらに踏み込んで、園舎の床下にたまったヘドロの除去と園庭の芝生の間に残るガラスや金属の混じったヘドロの除去に取り組みました。湊小学校では 小学校が避難所となっており授業が出来る状況に無いため、2.5キロ離れた住吉中学校の空き教室を借りて授業を再開するために、机や椅子などの備品を運び、教室の掃除をして子供たちを迎えるための準備をしました。それぞれのグループは心地よい汗をかき、充実感を持ってボランティアセンターに帰り、今夜の宿泊先である仙台市内のビジネスホテルに向かい、ボランティアなどでごった返す仙台の繁華街で、仙台名産の牛タンに舌鼓を打ったのでした。このとき我々は、明日、更なる凄惨な被害現場に向かうとは露ほども想像していませんでした。


2011年5月27日(金)

東日本大震災復興支援ボランティア「浜松やらまいか隊」
今回の選挙は、3月11日に起きた東日本大震災の影響を受け、地震津波対策等の防災一色の選挙となりました。私の選挙区である浜松市南区は、長い海岸線と南北を流れる河川を抱えた平坦地であり、仙台平野を襲った津波の映像を目の当たりにすると、とても人事とは思えませんでした。早い時期に現地に入って、この目で状況を確認したいと思いつつの選挙戦でした。
そんな思いをかなえてくれたのは、青年会議所(JC)の後輩からの連絡でした。浜松の旅行会社の有志が、営利目的抜きで現地にボランティアを派遣する事業を計画しているので、協力してやろうとのことでした。16年前の阪神淡路大震災の時には、当時現役JCメンバー(JCは40歳で定年)として西宮市に駆けつけ、ボランティア活動に取り組むとともに、1年後には子供たちの交流事業を実施するなどの経験を持つ仲間が中核となることとし、一般の方々にも 募集をしたところ応募者殺到で、抽選の結果、総勢71名の復興支援ボランティア、「浜松やらまいか隊」を結成し、不肖、私が隊長として5月2日から5日の日程で宮城県の石巻市に向かうこととなりました。
5月2日、22時、多くの荷物を持った仲間が結集し、バス2台に分乗して浜松駅前を出発、車中泊にて一路、石巻を目指して高速道路を北上しました。今回の企画は、現地石巻のボランティアセンターと十分な打ち合わせをし、必要とされる角スコップや土嚢袋などを我々自身が 用意し(土嚢袋は多くの建設関係の方々にご協力いただきました)、ヘドロや瓦礫の処理作業に 不可欠な防護用品(鉄心入り長靴や防塵マスク、ヘルメットなど)を用意するなど、事前に参加者に情報提供したことで荷物が多くなりましたが、入念な準備は現地での活動に際し大変役立ったと思われます。まとまった人数で、自力で現場に到達する機動力を持ち、どんな現場の作業にも必要な資材を自ら持参し、昼食も宿泊先も用意している我々は、決して自画自賛ではなく、多くのボランティアを差配するボランティアセンターの方々にとっては、手のかからない、頼もしいグループだったと思います。実際に派遣された現場がそのことを実証しています。


2010年11月11日(木)

「モンゴル友好元年 その2」
さて、帰国後、川勝知事にモンゴル訪問の報告をしたところ、モンゴル航空だけでなく随分とモンゴルに関心を持った様子。県内のモンゴルからの留学生と懇談するなどすぐに行動に移されました。さらに話は急速に展開していきます。8月に知事が学者としてモンゴルを訪問することが決まります。当然その機会を逃すことなく静岡県との交流の機会を実現すべく政府要人との 会見がスケジュールに組み込まれました。ガンフォヤク知事ももちろんその一人です。
一方、私たちは8月12日、東京で駐日モンゴル国大使、ジグジット氏と会談することとなりました。モンゴルを訪問した県議4人とオイスカインターナショナルの中野理事長が同席しました。ちなみにオイスカモンゴルのガンフォヤク知事とジグジット大使はモンゴルから日本に来た留学生の第一号で、ともに信州大学で学んだ親友です。この席では11月に大統領が来日する予定でぜひ静岡県も訪問したいとの事。ガンフォヤク知事も側近の一人として同行するだろうとの事でした。まだこの時点では今回のガンフォヤク知事の来日は決まっていたわけではなかったようです。
知事は、川勝知事と懇談するとともに、県内の産業の現場を視察するなど精力的に活動され、静岡県を後にされました。


2010年10月18日(月)

「モンゴル友好元年」
10月17日(日)モンゴルのオイスカ会長であり、ドルノゴビ県の知事でもあるガンフォヤク氏を歓迎する宴が、浜松市内のホテルで開催されました。オイスカについて簡単に説明しておくと、農村開発や環境保全、それに携わる人材育成を目的にしたNGO(非政府組織)で、世界26の国と地域に活動拠点があります。東京海上の植林活動のTVコマーシャルを見たことのある方もいると思いますが、そのコーディネイトをしているのもオイスカです。私は、オイスカの会員であるとともに、静岡県オイスカ振興議員連盟の前会長でした。これまでもフィリピンとタイで計4回植林活動に参加してきました。
さて、そのオイスカの静岡県支部が、今年5月にモンゴル植林フォーラムを実施し、同僚県議3名、一般参加者25名とともに6泊7日の日程で、初めてモンゴルを訪問しました。
首都ウランバートルでは、城所駐モンゴル大使をはじめ、教育科学省、経済開発局、ウランバートル市役所等の政府要人を訪問するとともに、モンゴル航空では、静岡空港への就航を促す川勝知事の親書を携えて会談するなど、モンゴルと静岡県との交流のための準備作業とも言える活動も、植林作業とともにしてきました。ウランバートル市内で我々の歓迎会を主催してくれたのはもちろんオイスカモンゴルの会長であるガンフォヤク氏と事務局長のニンジン女史でした。今回の訪日にはニンジン事務局長も同行されております。
ガンフォヤク氏が知事を務めるドルノゴビ県は、ウランバートルから夜行列車で12時間のゴビ砂漠の県です。地下に石炭などの莫大な鉱物資源が埋蔵され、世界中の注目を集めています。ゴビ砂漠の、地平線までも続く広大な砂礫地帯、降り注ぐ天空の星、移動式テント、ゲルでの寝泊りなど忘れられない思い出一杯のモンゴル訪問でした。
さて、帰国後・・・・・・・以下は次回に。


2010年8月9日(金)

「富士登山」
この夏、生まれて初めて富士山に登りました。富士山は、静岡県のシンボルであり、日本の宝でもあります。私は、静岡県の県議会議員になって以来、富士登山の経験が無いことがずっと頭の片隅にくすぶり続けていました。富士登山の経験も無く、富士山を語る資格があるのかと。今回、富士山静岡空港の就航先として交流を続けてきた鹿児島県の県議会議員の皆さんが、富士登山に挑戦することとなり、静岡県議会でもお供をすることになり、私も参加する事にしました。8月4日夕方新富士駅に集合し、富士宮口新5合目駐車場を目指しました。駐車場から約30分で6合目宝永山荘に着きました。ここで宿泊し、翌朝、5日、4時30分に山小屋を出発し山頂を目指しました。鹿児島県議会議員10名、静岡県議会議員5名、それぞれの事務局3名、サポート役として沼津の山岳会のメンバー2名、富士宮消防署から3名、合計23名が二つのグループに分かれて出発しました。前の夜から天気は晴れ、すばらしい星空、眼下には富士市や御殿場市の市街の夜景が美しく広がっていました。出発後まもなく夜が白み始め、今日も晴天であることが分かるとともに、富士の山腹に太陽が昇ってきました。眼下には駿河湾と伊豆半島、西を見れば御前崎から遠州灘が見え、東には相模湾とそこに突き出た江ノ島が見えます。まさしく地図のとおりの、180度の大パノラマです。経験豊富なリーダーの統率の下、定期的に休憩を取りつつ5時間後、9時30分に富士山頂に到達しました。鹿児島県議会の1名が体力不足で途中断念した以外は、全員が高山病に悩ませられることも無く、無事に山頂に立つことができました。私は、3776メートルの剣が峰まで行き、その後、浅間神社奥宮で昇殿参拝をし、身も心も清められ清々しくも感動的な富士登山となりました。
下山は、御殿場ルートを経て、宝永火口を渡り6合目の宝永山荘を目指しました。行きはよいよい帰りは怖い、くだりでは親指の爪を痛めかなり苦しい下山となりました。
静岡県では富士山の世界遺産登録に取り組んでいます。自然遺産での登録は断念し、文化遺産としての登録を目指していますが、様々な障害に立ちはだかられており、実現にはなお紆余曲折があろうと思います。富士山は遠くから眺めているのがいいとの声もありますが、実際に登ってみると、5合目以上にはごみは全く見当たらず、登山者のマナーがかなり向上しているのが分かります。課題であったし尿処理についても、山頂、各山小屋ともバイオトイレが設置され(県の補助事業)、し尿の垂れ流しも無くなっており、環境保全の取り組みは充実してきているように思います。課題は5合目より下の開発と不法投棄のように思われます。
自然環境と、貴重な文化的な意味を持つ富士山を守っていくのは、わが国に生まれた全ての人の責任だと思います。皆さんも1度は富士山に登ってみませんか。新たな発見がありますよ。


2010年2月26日(金)

「富士山静岡空港」
静岡空港が迷走しています。静岡空港に係わる問題は、前知事の政治生命を奪い新知事の誕生の契機となるなど静岡県政にとって重要かつ頭の痛い問題です。川勝知事は前知事の時に議会でもすったもんだの挙句決定した日本航空の福岡線の搭乗率保障について、絶対に支払わないとの姿勢で日本航空との交渉に当たってきました。
この間、当事者である日本航空の再建問題は鳩山政権の意思決定能力の不足によりこれまた迷走を続け、最終的に産業再生機構送りという形で法的整理となりました。つまり、政府保証つきの倒産です。この間日本航空は静岡空港からの撤退を正式に発表し、2月24日には静岡支店の閉鎖も発表されました。日本航空の福岡線と 札幌線は、フジドリームエアラインズが日本航空とのコードシェアにより引き継ぐこととなり何とか事なきを得ました。
また川勝知事は、議会の要請に基づいて(?)日本航空への支払いよりも県民に還元するとして、福岡線に限って3月末までツアー料金を割り引く等の公的助成を始めました。これに対し全日空は、1路線、1事業者にのみ助成するのは公平性を欠くと反発。海外の航空会社もこれに追随しました。知事は、お怒りはごもっともで理解できるとして3月末までに静岡空港を利用するすべてのツアーに助成を拡大するとしましたが、全日空や旅行代理店は、すでに募集はほぼ終わっており効果は限定的、今から実施すれば乗客にとってさらなる格差が生まれると、これまた反発をされています。全日空はこの抗議の中で静岡空港からの撤退もちらつかせており、今後の交渉次第では日本航空に続いて全日空も撤退するなどということにもなりかねません。
地元資本であるフジドリームエアラインズが、日本航空が静岡空港と同じように撤退する信州まつもと空港の福岡線と札幌線を引き継ぐなど、新たなリージョナル航空会社として健闘していてくれるのは頼もしい限りですが、日本航空と全日空の国内2大航空会社を静岡空港が失うダメージの大きさは計り知れません。
過日、天竜浜名湖鉄道と肥薩おれんじ鉄道の提携調印式に静岡空港を利用して行ってきました。福岡、熊本、鹿児島と結ばれる九州へのアクセスは格段に良くなっていますし、ソウル仁川空港経由で海外に飛ぶツアーも多く見られるようになってきました。静岡県の将来の発展に欠かせない静岡空港を育てていくのも我々の責任です。


2010年1月26日(月)

「新春の集い・県政報告会」
1月24日恒例の後援会新春の集いを開催しました。私の政治活動を心配してくださったのか、昨年の2割り増しのお客様にお集まりいただきました。新春の集いには珍しく約20分間挨拶をさせていただきましたが、ちょうどその時間は、東京で自民党大会が開かれている真っ最中で、「自民党静岡県連の幹事長を辞任していなければ本当は今、東京の自民党本部にいるはずでした。」と、挨拶を始めました。自民党静岡県連の幹事長辞任に至る経緯と新会派「自民改革会議」結成についてご説明申し上げました。
国民に期待された民主党を中心とする政権は、政治と金の問題で鳩山首相と小沢幹事長という与党のトップである二人が疑惑まみれになるとともに、衆議院議員選挙で掲げたマニフェストの実現がことごとく困難になり、無理に一部実現を図ったため膨大な支出を伴う予算編成を余儀なくされています。国民世論は内閣支持率の急落に見られるように民主党政権に対して厳しい視線を投げかけるようになってきましたが、一方で自民党に対する期待は一向に盛り上がらず、自民党に対する国民の厳しい目がいまだに根強い事も事実であります。自民党大会のニュースを聞く限りでは、大胆な党改革にはとても及ばず、綱領の一部手直しにとどまるとともに、懸案の次期参議院議員選挙での長老の公認問題は先送りするなど、執行部のリーダーシップが発揮されているとはとてもいえない状況だと思います。また自民党を離党する現職や前職の国会議員が相次ぐ中で新党結成や政界再編が取りざたされるなど自民党自身にも地殻変動のマグマが渦巻いているように感じます。我々自民改革会議の新会派結成は、党再生に向けて重い腰が上がらない自民党本部に先んじての勇気ある行動だったとの思いが確信に変わりつつあります。


2010年1月18日(月)

「2010年 新年のご挨拶」
皆様新年明けましておめでとうございます。お健やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
浜松の初日の出は雪の中でした。日本語には「風花が舞う」という美しい言葉がありますがそれを通り越して吹雪のようでした。雪国の人には笑われるかもしれませんが、元旦に雪が降るのは私の記憶にはなく、大変珍しいことなのです。どん底から這い上がることのできない厳しい景気の現状と、政権交代はしたものの、この国の将来を示すビジョンが新政権から示されない なか、国民の不安感を象徴するような元旦の天候でした。
さまざまな団体や地域の新年会に伺う日々が続いていますが、多くの皆様に「昨年は大変だったね」とのねぎらいの言葉をいただいたり、「静岡県の自民党はどうなるの」とのご質問を受けることが多く、昨年が皆様に多大なご心配をおかけした年だったことを改めて実感する毎日です。
そんななか、浜松商工会議所の賀詞交換会での川勝県知事の祝辞の中で、昨年の県政を振り返りながら私の名前が二度も使われたことに私はもちろんのこと、会場の400人ほどの参加者は、さぞかしびっくりされたことだと思います。20分程の知事の挨拶の中で個人名が使われたのは私と鈴木康友市長のみ。よほど知事に好かれているのか、はたまた・・・?祝宴に移った後で会場の方から「小楠さんの県政での存在感の大きさの表れだと思えばいいじゃない」と妙な励ましを受けたりしました。
県政は川勝新知事による初めての新年度予算編成の佳境に入りつつあります。限られた財源の中で県民サービスをいかに向上させていくのか、知事のマニフェスト実現に向けての真価が問われることとなります。議会としても本来のチェック機能を果たし県勢の発展に向けて一層の努力をしていかねばならないと思います。
私としましても、新会派結成の意義を現実のものにするため、初心に帰り頑張ってゆく1年にしたいと思います。本年もよろしくご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。


2009年12月21日(月)

「自民党県連幹事長辞任と新会派結成について」
今年も残すところ僅かとなりましたが、皆様方におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。また日頃のご支援ご協力に対しまして衷心より感謝申し上げます。また、この半年余りの私と自民党に関する報道には何かと御心配をお掛けしたことと深くお詫び申し上げます。
マスコミの報道には私の思いとは異なる部分もあり、取り急ぎ皆様に幹事長辞任と新会派結成についてご報告させていただきます。

<自民党県連幹事長辞任に至る経緯>

@ 私は5月18日の自民党県連大会において幹事長に選任されました。知事選挙及び衆議院総選挙が予定されている大変重要な年の幹事長就任であり、身の引き締まる思いでありました。また、この県連大会では、柳沢前県連会長と前三役を中心に選考を進めてきた静岡県知事選挙の候補として、坂本由紀子参議院議員に出馬要請することも決定しました。
しかしながら、大会当日夕方から自民党所属の複数の県議会議員が党の方針に反して、民主党県議会議員らと川勝平太氏(当時静岡文化芸術大学学長)の擁立を画策していることが判明し、記者会見に臨んだ5名の自民党県議会議員に対し、幹事長による文書注意の処分を下しました。私の自民党幹事長としてのスタートは極めて異例の大変な困難を伴うものとなりました。
結果として知事選挙は自民党県連が一枚岩で戦うことができず、坂本由紀子氏は1万5千票あまりの僅差で涙をのむこととなりました。知事選挙敗北の責任を取って私をはじめ県連3役は辞任を申し出ましたが県議団総会で慰留をされて続投することとなり、私は6月県議会では川勝新知事に対して自由民主党を代表して質問に立ちました。

A 8月7日、6月県議会は閉会し衆議院選挙に突入しました。私は県連幹事長としてこの選挙でも総指揮をとりましたが、政権交代への世論のうねりには抗しがたく県下8つの小選挙区で全敗。8区の塩谷立氏が比例復活により、唯一の議席を守ったのみと惨敗し自民党は野に下りました。
この衆議院選挙中に、またしても自民党県連を揺るがす問題行動を起こした議員がいたことが発覚しました。自民党公認候補が選挙を戦っているにもかかわらず、無所属候補の個人演説会で応援演説を行ったという反党行為でありました。衆議院選挙後、この議員の反党行為に対して県連の党紀委員会が開催されました。党紀委員会は当選回数の多いベテラン県議で構成され、党規約に反する重大な違反行為に対して除名もしくは離党勧告をする場であります。今回の反党行為に対しての当然の処分として、除名もしくは離党勧告がなされるとの予想に 反して、党紀委員会では「幹事長による文書注意とせよ」という軽い処分の決定がされました。私は党紀委員会では発言権が無く、歯がゆい思いで議論を見守ることしかできなかったことは残念でなりません。衆議院選挙の総括を行った東部、中部、西部での自民党支部長会議と臨時県連大会ではこの議員に対する軽い処分の問題に対して厳しい意見が相次ぎ、幹事長として 私はひたすら謝罪と釈明に追われました。

B 9月11日、9月県議会が開会しました。この議会には、知事から唐突に空港部の廃止の為の条例案が提出され、この議案に対する是非をめぐって党内は議論百出。意見集約のために党内議論を尽くした結果、会派としては「条例案に反対する」ことで党内一致の方針を固めたにもかかわらず、本会議に先立つ委員会での採決に党の方針を破って2名が賛成し、この2名に対してまたしても幹事長文書注意の処分をし、5月からの処分者は合計8名となりました。その後の本会議での採決では10名以上の造反者が出て、議案はわが党の方針に反して賛成多数で可決されました。
この事態を受け、私たち3役は辞表を提出し党内をまとめ切れなかったことに対しての責任を取ることとなった次第です。

処分者続出の中で自民党の規律は乱れ、何をしても大した処分は受けないような風潮が蔓延し、自民党県連及び会派自由民主党は無法地帯の様相となっていました。まことに遺憾なことであります。

<新会派「自民改革会議」結成について>

このような自民党県連及び会派自由民主党の、現状を憂う同志が若手を中心に数多くおり、自民党の再生の為に意見交換をする中で、私と、私と共に自民党県連の政調会長を務めてくれていた大石哲司県議(牧之原市・榛原郡南部選出)が矢面に立つ形で新会派結成に向けた行動を開始しました。11月24日、18名の同志とともに新会派「自民改革会議」の結成を届け出ました。
私たちは、役員人事や権力闘争により新会派を立ち上げたのではありません。存亡の危機にある自由民主党が再生するために、反省すべきは反省し、この苦境を改革の好機ととらえて、誇り高き自由民主党の旗を掲げて前進してゆくために立ち上がりました。
以下に新会派「自民改革会議」の規約にうたった目的を記します。


【目的】
1 政党人として
自由民主党の所属県議会議員として誇りと自覚を持ち、党規約を守って活動する。
2 議会人として
静岡県の発展のため、県行政に対するチェック機関としての議会本来の使命を全うし、政策提言集団として活動する。


私たちの行動が党員・党友をはじめ、広く県民の皆様のご理解を頂けるよう、初心に帰って活動してまいる所存です。私、小楠和男をご支援くださる多くの皆様におかれましては、なにとぞ倍旧の ご指導を賜りますことをお願い申し上げ、ご報告とさせていただきます。

平成21年師走
静岡県議会議員 小楠 和男


2008年3月11日(火)

平成20年2月28日に自民党県連政調会長として代表質問しました。以下、質問の内容を掲載します。

平成二十年県議会 二月定例会
自由民主党 代表質問 小楠 和男 県議

私は、自由民主党を代表して、当面する県政の諸課題について、知事並びに関係部局長、教育長、警察本部長に質問いたします。

はじめに、次期総合計画の策定に向けた取り組みについて伺います。
「総合計画、後期五年計画」は、計画策定から二年目を終えようとしており、残すところ三年の期限となりました。「県民くらし満足度日本一」を目指すこの総合計画を見ますと、例えば、本県の発展の索引役として期待される富士山静岡空港や新東名自動車道といった主要プロジェクトも完成に向けて概ね目途がついてきたところです。
一方、後期五年計画では、新たに五つの地域区分を設け、各地域が自立的に発展するための目標を掲げ、その実現を目指していますが、それぞれの地域形成を進める上での具体的な課題も見えてきました。
私の地元、浜松市と静岡市は、政令指定都市に移行し、県から政令指定都市への権限移譲が進む一方で、県は政令指定都市の仕事から手を引きすぎているのではないかと感じる点もあります。特に浜松の経済界の方々からは「我々の納めた税金が浜松地域に還元しているように感じられない。県の姿が見えない。」との声をよく聞かされます。お互いが今以上に緊密に連携し、政令指定都市の県民も同じ県民として認識して全ての県民の満足度を最大限に高められるよう強く願うものです。
また、東部地域においては、合併が進まない中、地域内の連携による広域的な地域づくりをいかに進めていくのか、伊豆半島地域においては、観光客が落ち込む中いかに観光を再生し振興を図るかが緊急の課題です。
さらに、志太榛原・中東遠地域では、空港を生かした地域振興策の早期策定などといった、それぞれの地域ごとの具体的な課題が明らかになってきました。
こうした中、東部地域における沼津駅北拠点施設整備をはじめ、草薙総合運動公園の改修やエコパへのサブアリーナの整備、さらには、空港周辺地域へのコンベンション施設を検討する動きなど、それぞれの圏域の発展に向けた、新しい県の取り組みも出てきていますが、これ以外にも、地域全体が魅力を高めるために今後取り組む必要があるテーマは探せばいくらでも有るのではないでしょうか。
私は、現在の総合計画に掲げる主要プロジェクトも目途がついてきた今こそ、こうした地域における現状や課題をしっかりと捉え、将来の本県のさらなる発展に向け、次期総合計画の改定を見据えた検討を早急に進めるべきであると考えますが、所見を伺います。

次に、平成二十年度当初予算について伺います。
最初に、予算編成についてです。
本県経済は、個人消費は概ね横ばいに推移し、企業の生産も全体として緩やかに増加しているほか、雇用面での改善も続くなど、全体として景気は緩やかな改善の動きを続けていると言われていますが、原油価格の高騰や、サブプライムローン問題がアメリカ合衆国を中心とした世界の金融経済に深い影を落とすなど、今後の景気拡大の持続性には大変な不安を感じるところです。
一方、急速に進む少子、高齢化への対応、切迫する東海地震対策、医師確保対策など地域医療体制の充実のほか、来年三月に開港する富士山静岡空港を核にした、将来を見据えた地域づくりなど、県政に求められる課題は大変多岐にわたっています。
さらに、市町村合併の進展、政令市の誕生や、国の地方分権改革の議論が進む中、地方自治体の行財政運営は、大きな変革期を迎えています。
そこで、わが党としては、本年一月、行財政運営の構造改革を進めつつ、活力と魅力にあふれる「しずおか」の創造、豊かな県民生活を支える基盤づくり、安心・安全な地域社会の構築などの重点項目について配慮した予算編成を知事に要望したところです。
知事は、「県民満足度日本一」を実現するため、我が党の要望を踏まえ、どのような考え方で平成二十年度当初予算を編成したのか伺います。

次に、地方税財政のあり方と本県の財政見通しについて伺います。
昨年十二月に示された、平成二十年度地方財政対策におきましては、国、地方を通じた歳出・歳入一体改革を、計画通り推進していくという方針に沿って、計画的な定員削減などによる人件費の抑制や、投資的経費の削減など地方にとって厳しい歳出の抑制が継続しています。
一方、地方税、地方交付税等の一般財源の総額は、地方の厳しい財政状況に鑑み、新たに「地方再生対策費」が創設されるなど、前年度に比べ六千億円程度の増額となったとのことです。
しかしながら、この地方再生対策費は、地方の自主財源である法人事業税を国税化し、再配分するという、地方税の偏在是正措置により生じる財源を活用したものです。この是正措置による平年度ベースの影響は、国の試算によれば、東京都、愛知県、大阪府に継ぎ、本県も全国四番目、五十億円程度のマイナスが見込まれるとのことであり、これまで産業基盤の強化や企業誘致などに力を注いで得た法人事業税の収入を奪うものであり素直に納得できるものではありません。さらに五十億円の税収減は、厳しい財政環境にあるわが県にとっての影響は少なくありません。
また、地方の努力により税収が増加しても、交付税が減額されて相殺されてしまうような現在の地方税財政フレームを前提とすれば、先頃本県で公表した、財政の中期見通しは、依然として厳しい状況が続いていくとのことです。集中改革プランなどにより、徹底した行財政改革に取り組んでいることは承知していますが、高齢化の進展とともに社会保障経費は増加の一途を辿ることが確実視される一方で、投資的経費をはじめとする政策的経費の削減は、本県の活力を維持することのできる限界点に達しており、これ以上の削減は豊かな県民生活の提供に支障を来すのではないかと心配しています。
そこで、知事は、去る一月に、全国知事会に設置されました「地方財政の展望と地方消費税特別委員会」の委員長に就任されたとのことですが、今後の地方税財政のあり方について、改めて所見を伺います。
また、こうした不透明でかつ厳しい財政環境下において、本県の財政見通しについて、どう考えているのか、併せて伺います。

次に、富士山静岡空港の開港に向けた取り組みについて何点か伺います。
まずはじめに、富士山静岡空港への路線就航について伺います。
富士山静岡空港は、昭和六十二年の空港予定地決定から二十年余が経過しました。その間、さまざまな困難を乗り越え、約一年後にはこの富士山静岡空港から一番機が飛び立つことがほぼ確実となり、県民の期待は膨らむばかりです。
先月、空港利活用促進議員連盟による空港現地視察に参加しましたが、完成したエプロン(駐機場)に立ち、管制塔などターミナル地区の工事が急ピッチで進められている状況を目の当たりにし、改めて平成二十一年三月の空港開港を確信したところです。
さて、本県の豊かさを支える基盤としての空港の開港により、我が静岡県は、短時間で国内遠隔地や海外とを直接結ぶ交通手段を手に入れることになるわけであり、この空港機能を最大限に活用していく必要があると考えます。
そのためには、空港へのアクセスの整備や海外からの多くの観光客等を受け入れるための受け皿整備などハード、ソフト両面の様々な準備を進める必要があると考えますが、とりわけ、多くの路線、便数の確保が、県民にとって利便性の高い空港とするためには不可欠です。
現時点においては、国内、海外を合わせて、四路線、一日七便の就航が決定をし、そのほか県内企業によるリージョナル航空事業への参入表明もあり、徐々に航空ネットワークが確立されつつありますが、我が県の経済力や観光資源などの潜在的能力からすれば更なる路線確保が十分に期待できると考えます。
県では、主要路線の一つである鹿児島に行政、議会並びに産業界と連携した交流団を派遣し交流促進を図るとともに、先月十四日には、中国民用航空総局楊(ヤン)副局長と知事との会談において、中国との定期便就航を要請するなど、路線実現に向けて積極的に取り組まれていますが、就航を促進する上で、航空会社への支援策や、空港利用が拡大するための施策も積極的に打ち出すことが必要であると考えます。
知事は、先の十二月議会において「個々の航空会社の要望や、その効果を踏まえ支援策を検討していく。」と答弁されていますが、更なる路線就航を実現するため、航空会社等への支援策を含め今後どのように取り組んでいく方針か伺います。

次に、開港を見据えた交流人口の拡大策について伺います。
世界はまさに大交流・大競争時代の真っただ中にあります。人口減少社会が到来した我が国で、しかも地方であるわが県がその存在感を増していくためには、国内外からいかに多くの「交流人口」を獲得できるかが問われていると言っても過言ではありません。特に、昨今の原油高や米国経済の減速で世界が揺らぐ中、その逆風をものともせず、高度成長を続けるアジア諸国の成長の活力を取り込んで、我が県の発展の力としていくかが重要だと思います。
こうした中、本県におきましては、富士山静岡空港がいよいよ開港するわけです。この新たに加わる空のネットワークを活かし、交流人口の一層の増大を図り、地域間競争にいかに勝ち抜いていくかが問われることになります。

そこで、開港を見据えた交流人口の拡大策に関し、二点伺います。
まず、観光施策に目を向けますと、国では、官民挙げて観光立国の実現に取り組むために、観光の組織体制を拡充し、本年十月に「観光庁」を設置する予定とのことです。これにより、関係省庁との政策調整が図られるとともに、空港開港を契機に国内外からの観光客が増える好機を迎えている本県の交流人口の拡大にも大きく寄与するものと期待するところです。
県ではこのタイミングに合わせて来年度から「観光局」を設置するとのことでありますが、今後、どのような観光施策を重点的に推進していくのか、まず伺います。
次に、この一年の県の国際交流事業に目を向けますと、昨年六月、韓国のソウル事務所を開設し、観光誘客を中心とした韓国での拠点の確保を行うとともに、友好交流二十五周年を迎えた中国浙江省とのさらなる関係強化を推進するなど、東アジアに焦点を絞った戦略で施策を展開しています。
私は、大交流・大競争時代にふさわしい富士山静岡空港というアジアに開かれた空の玄関が整うことを契機として、これを最大限に生かす取り組み、例えば、空港の需要を高める海外への営業活動をはじめ、アジア諸国や国内の遠隔地との交流促進活動など、空のネットワーク拡充に向けたより具体的な取組を展開することが重要と考えています。 県は、こうした事柄に対応するため、来年度より空港需要を拡大する体制を整備するとのことでありますが、どのような取組を展開するのか伺います。

次に、浜岡原子力発電所のプルサーマル計画について伺います。
プルサーマル計画については、昨年7月の経済産業省の計画許可以来、地元住民等に対する理解活動が進められてきたところであり、それらの活動の結果、地元4市でも真剣に議論を重ねて、各市長、市議会が計画を認めるとの態度を表明し、さらには知事も本議会開会日に、計画受け入れの方向を示されたと私は理解しております。また、一昨日、地元四市で作る浜岡原子力発電所安全等対策協議会の会長を務める石原茂雄御前崎市長が石川知事を訪ね正式に受け入れの表明をされたとのことです。
私自身も、プルサーマルを理解するため、自由民主党県議団の団長として、昨年十一月に、燃料再処理施設等のある青森県六ヶ所村を訪れ、プルサーマル計画関連施設の状況を視察しました。
また、この二月十八日には、発電所の地元同僚県議会議員とともに浜岡原子力発電所を視察し、プルサーマル計画が実施された場合の燃料の輸送、保管に関する体制などに関して説明を受けるなどし、関係議員とも議論を深めてきたところです。
浜岡原子力発電所4号機でのプルサーマル計画の受け入れは資源の乏しい我が国の将来のエネルギー確保と地球温暖化対策の観点から当然進めるべきと考えますが、一方、プルサーマルには安全面から、もし事故が起こった場合には、その被害が大きくなるのではないか、などといった懸念もあります。
また、昨年7月の新潟県中越沖地震では、原子力発電所の耐震性に対する不安が広がったところです。
知事は、常々、原子力については、安全だけでなく住民の安心が得られることが大前提であるとしてこられました。
知事は、プルサーマル計画の受け入れに際してどのような基準で判断されたのか、改めて伺います。
また、今後、中部電力が、プルサーマル計画を実施する際に、県として、浜岡原子力発電所の安全確保をどのように求めていくのか、また、計画を受け入れる地元の振興対策について、どのように対応していく考えか、伺います。

次に、天竜浜名湖鉄道の新経営計画の策定に向けた取り組みについて伺います。
沿線住民の生活交通手段として、また観光路線として大変重要な役割を果たしている天竜浜名湖鉄道は、近年の少子化による通学利用者の減少や、自動車利用への転換などにより、輸送人員が減少傾向にあります。しかし減ったとは言え年間百七十五万人余の無くてはならない足として活用される貴重な財産です。
また、富士山静岡空港の開港による交流人口の増大に伴い、西部地域の六市町を繋ぐ交通ネットワークとして、その果たす役割は今後ますます高まることが期待されるのではないでしょうか。
さらに、二酸化炭素排出量の少ない鉄道は温暖化対策の視点からも存在意義は、今後益々大きくなっていくものと考えられます。
現在、会社において、平成二十一年度以降の新しい経営計画の策定作業を進めていると伺っています。
また、県が本議会に提案した来年度予算案をみますと、天竜浜名湖鉄道の活性化を図る新たな協議会の設置をはじめ、地域公共交通総合連携計画の策定、活性化事業を実施することとしています。
県は、これまでも長年にわたり、会社や沿線市町と連携して様々な視点からの調査・検討を行い、様々な対策を講じてきましたが、残念ながら抜本的な改善には結びついていない状況にあると思います。私は、この新しい県の事業が今後の経営改善に結びつく有意義なものとなるよう、本腰を入れてしっかりと取り組んでいただきたいと強く念願しています。湖西市での企業立地に伴う新駅の設置も具体化してきた今こそ平成二十一年度以降の天竜浜名湖鉄道の新経営計画が実効性のある計画となるよう、効果的な取組を展開すべきと考えますが、所見を伺います。

次に、原油価格の高騰の影響に対する県の取り組みについて伺います。
高騰を続ける原油価格は、去る一月二日には、ニューヨーク商業取引所の先物価格が、一時的に一バレル百ドルに達しました。その後落ち着きを見せましたが再び二月十九日にも百ドルを突破し、今後も原油価格は高止まりの状態が続くのではないかと懸念されるところです。
この原油価格の高騰によるガソリンや灯油などの価格の上昇は、輸送費や原材料価格にも反映され、中小企業や農林漁業などの広範な業種に大きな影響を与えるとともに、食料品や日用品などの生活必需品の値上げにより県民生活への影響も懸念されるところです。
こうした中、県は、去る一月十一日、「静岡県経済対策連絡会議」を開催し、中小企業への金融支援の拡充や下請取引の適正化対策、中小企業・農林漁業者向けの窓口・相談体制の整備などの対策を決定し、既に実行に移したと伺いました。県として具体的にどのような対策を講じていくのか、まずお伺いします。
また、引き続き原油価格の高止まり状態が懸念される中、これらの対策が実効性のあるものとするためには、今後の状況を注視し、県民生活に悪影響を及ぼすことがないよう、的確かつ機動的な取組を全庁を挙げて推進すべきであると考えますが、県は、今後どのように取り組むつもりか伺います。

次に、知識基盤社会の形成に向けての取り組みについて伺います。
二十一世紀を迎えた現代社会は、新しい知識・情報・技術が、政治・経済・文化をはじめ、社会のあらゆる領域での活動の基盤として重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」の時代と言われています。
近年の少子化の進展により、若年労働人口が減少する中で、このような「知識基盤社会」への対応を図っていくには、学術の振興が重要性を増してくるとともに、学術の中心機関である大学に対しては、さらなる優秀な人材を輩出していくことが求められています。
そこでまず、高等教育の振興について伺います。
昨年、国においては、「教育再生会議」をはじめ様々な場で、これからの時代にふさわしい大学・大学院改革のあり方が議論され、国際競争力の基盤となる数多くの優れた人材の育成などを目的として、世界最高水準の大学院形成や国公私立大学の連携による地方の大学教育の充実などの各種取組が提起されているところです。
このような中で、本県においても、静岡大学と静岡県立大学が、県内私立大学と共同で「静岡連合大学院(仮称)」構想を発表したとのことです。今後の県内高等教育機能の充実のための戦略が必要であると考えますが、所見を伺います。

次に、国際的な研究・人材交流について伺います。
これまで、日本有数のものづくり県である本県は、企業の海外展開など産業経済面を中心に国外との行き来が進んできましたが、本県が今後とも豊かで活力ある地域であり続けるためには、本県を、国内外から高度な研究情報や人材が集まる「知の拠点」とすることが重要であり、そのための環境づくりが急務であると考えます。
そのため、県内大学において、国外から優秀な留学生を多数集め、高度な人材を育成していくための取組が必要と考えますが、所見を伺います。

次に、静岡文化芸術大学の運営形態について伺います。
県立大学も公立大学法人化され、県では、公立大学法人と、公設民営の学校法人という形態の違う二つの大学法人に対して、それぞれ運営費交付金と、運営費への補助金として公的資金を投入して、財政支援を行っています。
私が、平成十二年九月議会において静岡文化芸術大学について、質問した際に、県側からの答弁では、県立大学並みの授業料と質の高い教育研究水準の実現、不足する運営費への財政支援を行い、安定した経営基盤を確保する為には、県が直接設置する形態とすると問題も多いとのことから、独立行政法人制度を先取りして公設民営大学としてスタートしたと承知しています。現在、地方独立行政法人法による「公立大学法人」という制度が整備されたのですから、それに統一し、県立大学だけではなく、文芸大学も公立大学法人のもと、経営するのが良いのではないでしょうか。
公立大学法人に移行すれば、県と文芸大学との関係も法律的にはっきりと位置付けることができ、安定した財政支援を継続しつつ文芸大学の教育研究の展開に更なる力を与えることができるものと考えますが、所見を伺います。

次に、交流の拡大と自然環境保全との両立について伺います。
今年は、京都議定書の第一約束期間の始まりの年という大きな節目でもあります。また、七月の北海道洞爺湖サミットの開催など、「環境立国」日本が世界に情報発信されることとなり、時代は「環境」をキーワードに動いているといっても過言ではありません。
そしてわが県にとってもう一つ重要なキーワードが「交流」です。昨年一月の世界文化遺産の暫定リストへの登載以降、富士山に対する関心が一層高まるとともに、本県におきましても、富士山静岡空港の開港により、国内だけでなく海外との“人・もの・情報”の交流がさらに活発になってくるものと期待されます。
さらに自然を活かした都市と農山漁村との交流も活発になるものと見込まれます。
ところがこのような交流の拡大に伴い心配な点も生じてきます。それは本県を訪れる人が増加することにより、ごみの投げ捨てや貴重な自然植生の破壊が進み、魅力ある豊かな自然環境が損なわれないかということです。
実際に、私の地元の遠州灘海浜においては、自然環境保護の立場から、アカウミガメの産卵を守るためオフロード車などの車両の乗り入れを禁止しているという現実もあります。
しかし自然環境保全だけを優先し、外部からの訪問者を受け入れないということになりますと、大交流時代に取り残されることになってしまいます。
交流の拡大と自然環境保全の両立についてどのように取り組んでいくのか所見を伺います。

次に、企業の森づくりの推進について伺います。
最近の報道では、シベリアの永久凍土が急速に溶け出している問題や、北極海の氷が、十年間で約十%の割合で減り続けているなど、地球温暖化が加速しているとの報告が連日のように報道されており、温室効果ガスである二酸化炭素排出の削減対策などについて、地球規模での対応が迫られています。
一方、近年では、企業ごとに環境レポートなどの名称で各種の環境改善や社会貢献活動などへの取組実績が報告されるなど、企業の社会責任について注目されており、大手企業を中心に、二酸化炭素の吸収源となる森林整備への参入が見られるようになってきました。 
財団法人オイスカと協力して海外植林活動を進めている東京海上日動火災や、イオングループなどがテレビCMで植林活動をアピールしているのがその一例です。
そこで、本県の自然環境に目を向けますと、県土の六十四%を占める森林は、県民共有の財産であり、行政や森林の所有者だけでなく、一般の県民や企業も、自分達にできる範囲で森林と共生するために行動を起こすことが必要だと思います。
しかしながら県内では、昨年度から県が進めている、「しずおか未来の森サポーター」制度等を活用して遠州灘の松林での植林に取り組んだヤマハ株式会社の例などがあるものの、まだ取組事例は少ないのが現状です。
企業活動に伴い消費されるエネルギー量を削減し、環境への付加を軽減する努力に加え、企業が森林整備に参加することは、企業の社会的責任を果たす上で、たいへん有効な手段だと考えます。
そこで、社会貢献活動としての企業による森づくりを一層推進するため、県として今後どのように取り組んでいくのか、所見を伺います。

次に、療養病床の再編成について伺います。
昨年十月、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所から、2005年度の年金や医療、介護などの社会保障給付費の総額が、前年度比一兆九千四百四十一億円、2.3%増の八十七兆九千百五十億円に達し、過去最高を更新したと、発表がありました。
いわゆる団塊の世代が高齢期を迎えるなど、高齢者人口が急速な増加が見込まれる中、社会保障費が膨らむことは避けられず、昨年後半、国において、年末の2008年度予算編成及び税制改正に向けて、社会保障費の増大には給付の削減や効率化だけでは難しいとする意見が出るとともに、消費税の福祉目的税化や税率の引き上げなど、社会保障費の安定財源確保について、税制調査会などで大きな論議を呼んだところです。
社会保障制度の維持は、県民が安心して、健康でいきいきとした生活を送るための重要な課題です。
国においては、一昨年、持続可能な医療制度を目指し医療構造改革関連法が成立し、この制度改革の中で「療養病床の再編成」が打ち出されました。これは増大する医療費を抑制するための方策の一つとして、医療機関における入院期間の短縮を目指したもので、全国に38万床ある療養病床のうち介護保険適用の13万床を廃止、医療保険適用の25万床のうち10万床を削減して15万床にするとのことです。
現在、県下に療養病床は約一万二千床あり、多く方が入院をしており、療養病床の廃止や他の施設に転換する過程において、介護難民や医療難民が生ずることはあってはならないことだと考えます。
県では、この再編成に対応するため、2月に、療養病床の転換の推進のほか、望ましい地域ケア体制などを盛り込んだ「静岡県地域ケア体制整備構想」を策定されたと伺いました。
そこで、本県の療養病床の転換推進計画の進め方、また、「地域ケア体制整備構想」の実現に向けて、今後、どのように取り組んでいくのかを伺います。

次に、企業誘致施策の充実について伺います。
昨年十月に発表された、経済産業省の工場立地動向調査でも、本県の平成十九年上期の立地件数は、三年ぶりに全国第一位となるなど、本県は、ここ数年、全国トップクラスの立地件数を続けているところであり、県を始め、市町における企業誘致活動の成果の現れとして誇れるデータだと思います。
しかしながら、企業の活発な設備投資が続いている現在、全国の自治体の中には、企業の誘致は、地域活性化の特効薬と言わんばかりに、高額な補助金を用意するなど様々な優遇策を使って、企業の獲得に乗り出しているところも見受けられます。近年の実績に満足することなく、本県としても、企業誘致施策をより一層推進していく必要があると思います。
そこで、まず、本県の優遇制度の充実について伺います。
地方分権が進んでいく中、活力あふれる地域づくりを継続していくためには、まずは、自主財源を確保することが大切であり、今まで、本県が取り組んできた元気な産業づくりを今後とも継続していくことが大変重要と思います。
他県の企業誘致への取り組みを見ますと、先ほども申し上げたように、企業誘致優遇制度の拡充を図っている自治体が多く、企業誘致を巡る地域間競争は益々激化しているところであり、本県におきましても企業誘致の優遇制度を一層、充実する必要があると考えますが、県の所見を伺います。

次に、工業用地造成事業における企業局の支援策について伺います。
本県の企業誘致を推進するためには、優遇制度の活用と併せ、企業ニーズにあった工業用地の整備促進も重要であることから、企業局においては、オーダーメード方式により、オリンパス進出のため長泉町で工業用地を造成したのを始め、本年度、裾野市や湖西市において工業用地の造成工事に着手し、また、牧之原市においても、市と連携して各種法規制の調整や開発に関する相談に迅速に対応しているとのことです。
そうした中、企業誘致に当たって工業用地造成を希望する県内市町からは、実績とノウハウを有する企業局に対して、より一層の技術的、財政的な支援が求められています。
そこで、こうした市町に対する支援策について、今まで以上の施策を打ち出していくべきだと考えますが、企業局長の考えを伺います。

 次に、道路特定財源の暫定税率廃止の影響と県の動きについて伺います。
道路特定財源は昭和二十九年の創設以来、五十四年に亘り、わが国の道路整備を支えてきました。
特に、昭和四十九年から導入された暫定税率により、国土幹線道路から地方道路に至るまで幅広い道路整備が着実に進められているところです。
現在、国においては道路特定財源の暫定税率の平成二十年度から十年間の延長について活発な論戦が展開されているところです。
本県の道路の現状を見ますと、道路整備は着実に進んでおりますが、県民一人当たり渋滞損失時間は全国ワースト六位、死傷事故率は全国ワースト八位など、決して満足できる状況にあるとは思われません。
このような現状において、仮に暫定税率が廃止され、道路財源が大幅に減額されるようなことがありますと、本県の道路行政が大きく滞り、県民生活に深刻な影響が生じるのではないかと懸念されるところです。
例えば、現在県で進めている新東名高速道路の供用に向けたアクセス道路ネットワークの整備事業や、渋滞対策や通学路の安全対策など、県民生活の安心・安全を確保するための事業が停滞してしまうのではないかとの心配があります。
このように、暫定税率の廃止は、本県の道路整備スピードを大幅にダウンさせるだけでなく、交通渋滞による県民経済の停滞や観光地としてのイメージダウンなど、県民生活や地域活動に重大な影響を与えることが想定されます。
そこで、暫定税率廃止の場合には、県内道路行政にどのような影響があるか県の見解を伺います。
また、道路特定財源の確保に向けて、県のこれまでの活動と、今後の動きについて併せて伺います。

次に、今後の農地整備の推進について伺います。
本県の農業は、東京圏と名古屋圏の中間に位置することを活かして、水稲はもとより、各種野菜や果樹、花に至るまで多彩な農業が盛んに行われております。私の住む浜松市は製造業中心の政令指定都市と思われがちですが、みかん、お茶、馬鈴薯、玉ねぎ、エシャレットからガーベラ、ほおずきまで全国ブランドの農産品を持つ全国第四位の農業産出額を誇る都市でもあります。
また、県内には、企業的感覚を持って農業生産や販売を行う農業生産法人も育ち、地域産業の担い手として重要な位置を占めるに至っています。
田植えの時期、さながら毛細血管のように張り巡らされた農業用水路から水田に水が引き込まれてゆく様を見るにつけ、このような近代的な農業基盤が形ずくられたのも、多くの犠牲を払いながら水を引き、土地を耕して、瑞穂の国日本を築き上げてきた先人の努力の賜と、改めて感謝するものです。
しかしながら、県内で耕作放棄地が増加しているのは、農業従事者の高齢化と後継者不足や農業への先行きの不透明さなど、なかなか農家が明確な目標を持って農地の活用に取り組めないことに大きな要因があるように思えてなりません。また、水路などの維持管理も大変になってきていると聞いており、このままでは、先人から受け継いだ、りっぱな農地を、次の世代に、しっかりと引き継ぐことが出来るか、心配でなりません。
このような状況の下で、今後の農地のあるべき姿とその推進方向をどのように考えておられるのか、また、農業従事者が減少する中で、これまでに造成した農業用施設を、今後どのように維持管理していくのか伺います。

次に親への教育の取り組みについて伺います。
私は、昨年の二月議会で家庭の在り方と親教育について質問をしました。子供の親殺し、親による児童虐待、学校への無理難題要求などを例に挙げ、家庭が正常に機能しているのかとの疑問からの質問でした。丁度同じころ、政府の教育再生会議の第一次報告では親も子育てを学習する必要があるとの認識から、「親学」と称する提言の構想が示されました。子守唄を聞かせて母乳で育児、父親もPTAに参加するなどの具体的な内容が盛り込まれていました。発想は私と同じだと思います。しかしこの提言は価値観の押しつけとの反発が強く、「親学」は日の目を見ませんでした。
今の親が育った時代について、財団法人日本青少年研究所の仙石保所長は「学校で自由や楽しさが一番とされ、先生を尊敬しない子供が増えた時期に当たる。大人になっても先生を尊敬しない親が多くなり、保育園や学校に対して、わがままな要求をしたり他人の迷惑を考えなかったりするようになっている。」と指摘しています。社会のあらゆる場面で権利だけを強く主張し、自らの責任と義務にはほおかむりを決め込む、そんな未成熟な大人がはびこっているのは何とも嘆かわしいことではありませんか。
静岡県では平成十一年の「人づくり百年の計委員会」により、大人が「美しく挨拶する」、「美しく歩く」、「美しく話す」ことを実践することで家庭でのしつけを始める「しつけの静岡方式」を提言されると共に、「お父さんの子育て手帳」を配布するなどして、いわば密室状態にあり、行政の目の行き届かない家庭に対して様々な働きかけをしてきました。すぐに目に見える成果が表れる施策ではありませんが、息の長い取り組みが必要だと思います。
そこで、国では日の目を見なかった「親学」について平成二十年度予算に計上されておりますが、新規の、「親学」推進事業についてどんな取り組みを考えているのか教育長に伺います。

最後に、銃器対策について警察本部長に伺います。
昨年は、四月に長崎市長が暴力団員に射殺された事件、五月に愛知でサットSAT隊員が殉職した事件、十一月に佐賀で入院患者が暴力団員と間違われて射殺された事件、十二月に長崎で、こともあろうに許可された散弾銃が乱射されて二人が殺害された事件などなど、社会を震撼させる凶悪な銃器使用犯罪が多発した年でした。
幸いにも県内での発生はなかったものの、県民の多くが、いつ、自分の身に降りかかってもおかしくないと不安を募らせていたことと思います。
ご承知のとおり、我が国には、その所持が許可された猟銃などのほかに、残念ながら、暴力団などの手によって違法に所持されているけん銃なども存在し、その許可された銃と違法な銃それぞれの対策・取締りに警察当局が当たっています。
そこではじめに、違法銃器について伺います。
これは主に暴力団員等が対立抗争等に備え、密輸・密売・密造といった犯罪行為で調達されたもので、ひとたび一度使用されれば、殺人・強盗など重大犯罪に至ることが必至であり、まさに治安の根幹を揺るがしかねない重要な問題です。
そこで、県警においては、この違法銃器を社会から一掃するために、どのような取り組みをされているのか伺います。
次に、許可された銃についてです。
先ほど申し上げた長崎の事件や、東京で手入れ中のライフル銃が暴発して子供が死亡した事故などにより、一気に問題点がクローズアップされております。
現在の法体系では、国民の誰もが一定の条件を満たせば銃の所持が許可され、その後も欠格事項がなければ許可は更新されてゆきます。現在銃の所持を許可されている殆どの方々が、法令や手続きを守り、安全に万全を期していることと信じたいものです。
しかしながら、長崎では、結果として許可された銃によって悲惨な事件が発生したことから、現在の法体系の中で、許可・更新などの手続きがより厳正、かつ適切に行われ、真に必要な方々のみが許可されて、その方々には、より一層の安全な取り扱いを求める、ということが望まれていると思います。
そこで、県警では、適切な許可事務を行い、許可された銃がより安全なものになるよう、どのように取り組んでいるのか伺い、私の質問を終わります。


2007年11月28日(水)

「年 男」
平成20年(2008年)は子(ね)年です。私の生まれた昭和35年は子年にあたり、すなわち私は「年男」となります。今では生まれ年がその年の干支に当る男、女をそれぞれ年男、年女と呼んでいますが、元の意味からするとかなりの拡大解釈と言えます。広辞苑には@武家で追儺(ついな)の豆打ちをし、新年に門松を立て、若水を汲み、歳徳棚(としとくだな)の飾付けなどを勤める男。A節分に豆まきをする男。その年の干支にあたる人、又は厄年の人がつとめる。豆男。とあり、本来の意味は武家集団のうち節分の豆まき等に従事した人といったところでしょうか。
私は20代の頃、秘書の仕事として千葉県の成田山新勝寺の節分に何回か参加させていただきました。成田山の節分は年男、年女の相撲取りや芸能人が豆まきをする事で有名で、全国のニュースに流れており皆さんも目にした事があると思います。しかし昼に2回行なわれる彼らによる豆まきはデモンストレーションにすぎず、本当の豆まきは夕方から行なわれます。全国から集まる成田講の主宰者が年男となって豆をまくのです。宿舎から講の主宰者を本堂に運び上げるのには、輦台(れんだい)や男衆による騎馬などが使用され、多くの従者を伴って境内を進み、クライマックスの本堂での豆まきに至ります。担ぎ手として参加していましたが、徐々に高まっていく高揚感は浜松祭りにも通じるもので、今でも良い思い出です。


2007年4月26日(木)

前号でお知らせしたように、24日午後に自民党の役員選考会が開かれました。

安定過半数を占めているわが党案は議会での採決を必要とする議長、副議長、監査委員などすべて5月18日に開催される臨時県議会で可決されるため事実上議会人事が決定したといえます。

議長候補には佐野康輔氏(6期)副議長候補には吉川雄二氏(5期)が選任されました。同時に自民党県連の新役員も内定し、不肖私が三役の一つである政務調査会長に内定しました。

他には幹事長に堀江龍一氏、総務会長に植田徹氏が選任され三人で自民党県連の運営に当たることになりました。25日の静岡、中日の地元各紙の1面に載った記事のとうりであります。

さて政務調査会長とは何をするのかと申しますと、自民党の政策責任者を指す役職名です。

静岡県が行う様々な施策は重要事項、特に予算案などの議会の議決を必要とする案件については議会の各会派との事前の調整が必要となります。

特に議会の過半数を占める自民党との調整が重要なことは申し上げるまでもありません。調整の窓口であると共に責任者としての政務調査会長の役職は大変重いのであります。

景気の回復による税収の増加が見込まれるとはいうものの、限られた予算を効果的に配分する一方で行財政改革にもさらに踏み込まなくてはならず、県行政の運営はまさしく綱渡りです。 責任の重大さに身が引き締まる思いです。この役職をいただくまでにお支えいただいた多くの皆様に感謝すると共に、さらなるご支援を賜ることをお願いする次第です。


2007年4月20日(金)

無投票当選が決まってから3週間が過ぎました。いまだに複雑な思いがしますが、4期生として堂々と県庁へ行こうと思います。

後援会活動中から訴えてきた「小さな選挙区から大きな視野で」の思いは選挙当日まで日に日につのり、選挙区はもちろん大切にしなければなりませんが、井の中の蛙にならないためにも大きな視野の必要性を感じています。

さて、県議会は今期から定数を4減らして74人の議員で構成されます。会派の構成も決まり私たちの自民党は公認候補の他、推薦なども加えて40人でスタートすることとなりました。 安定過半数を得たことになります。

一方で2期目を目指した自民党の仲間は7名中3名が落選、全会派の1期生15名中7名が涙をのみ、2期目のジンクスはやはり存在することを思い知らされました。

2回の無投票を含むとはいえ4期連続で当選させていただいたことに今更ながら感謝すると共にその責任の重さを改めて感じる次第です。

既に県議会の話題は人事に移っています。議長、副議長などの議会の人事と、自民党の三役である幹事長、総務会長、政調会長などです。

来週24日には自民党の役員選考会が開かれほとんどの人事が内定するとおもわれます。私も候補者の一人・・・・のようですが、25日の朝刊をみてください。4年間頑張ります。


2006年11月17日(金)

 10月28日、ねんりんピック静岡2006(第19回全国健康福祉祭しずおか大会)の開会式に行ってきました。会場となった小笠山総合運動公園エコパは秋晴れの好天に恵まれ、全国から集まった60歳以上の高齢者を歓迎するにはもってこいの日和でした。この大会は60歳以上の高齢者の方々によるスポーツと文化の祭典です。全国の都道府県が持ち回りで開催しており、今年の開催地が静岡県ということです。ちなみに浜松市ではボート、バウンドテニス、ダンス、将棋などが開催されます。3年前の国民体育開会の開会式もこの会場でしたが、規模こそ小さいながら静岡県らしい演出は、私の記憶を呼び覚ますのに十分でしたし、全国から集まった選手、役員の方々にも、記憶に残るすばらしい開会式だったと思います。

 さて、この開会式で思ったのは、主催者は静岡県と静岡市の共催ですし、当然入場行進も都道府県と政令指定都市が別々に入場してきます。つまり来年の茨城県大会では静岡県チームの後に静岡市チームと浜松市チームが入場するようになります。実は、国民体育大会の開催地ですぐ後に開かれる全国障害者スポーツ大会も、都道府県代表と政令指定都市代表がそれぞれ参加して開催されます。国民体育開会の所管官庁は文部科学省、ねんりんピックと障害者スポーツ大会は厚生労働省です。高齢者福祉と障害者福祉は権限が都道府県と、政令指定都市でまったく同じであり、権限委譲(分権)が進んでいるといえます。24日の閣議で来年4月1日に浜松市の政令指定都市移行が決定しましたが、政令指定都市になることの責任の重大さと感じるとともに、政令指定都市ならではのやりがいを実感する日でもありました。


2006年11月13日(月)

 この度ホームページをリニューアルしました。長らくさぼっていたことを反省し、思い切って全面的に更新し、アドレス等も変更になりましたのでよろしくお願いします。

 この間に、政治家小楠和男とは別に新たな仕事をはじめましたので徒然なるままにの再開に当たりご報告させていただきます。

 教育は政治の分野でも重要課題のひとつです。私自身、県議会の文教警察委員長、総務委員長を歴任し公教育や文化、スポーツの振興、私立学校の振興など、政治の場から教育問題に取り組んで来ました。しかしながら、自分自身が教育を受けたり、PTAや地域の代表として学校と係ることはあっても、実際に学校の現場を知っている議員は驚くほど少ないのが実態です。

 私は、ご縁があって4年前から浜松市にある芥田学園中学校、高等学校を経営する学校法人芥田学園の理事をしていましたが、6月から理事長として学校経営の責任者を仰せつかりました。少子化の時代ですから学校経営も厳しい環境にあり、理事長職も名前だけの名誉職ではなく、週1〜2日は学校に出勤しています。学校の現場はまさしく世の中の縮図といえます。連日報道されるいじめにつながりかねない生徒間の出来事はもちろんのこと、生徒の置かれた家庭環境、進学や就職の悩み、さまざまな問題に直面して悩む教師達、数え上げればきりがありません。議員と学校経営者との二足のわらじをはくことになりましたが、学校の現場を知ることは、政治の場での活動にも大いに役立つと思っています。どちらも疎かにすることなく全力投球していきます。


6月県議会 7月1日(月)一般質問 答弁

『浜名湖ガーデンパークの整備状況と浜名湖花博後の利用』

浜名湖ガーデンパークの整備状況と浜名湖花博後の利用について伺います。
来年の国民体育大会の後には、
本県主催の大規模イベントの集大成とも言える『浜名湖花博』が開催されます。
過日の質疑でもアクセスやイベントの準備状況について答弁がありましたが、
開幕まで2年を切った今、会場となる浜名湖ガーデンパークそのものの整備の状況をまず伺います。

また、会場となる56haのうち東側区域の34haは平成11年に都市計画決定を受け、
恒久的な公園施設を含む都市公園として整備が進んでいますが、
西側区域の22haは民間の活力を導入させていただくとして最低限度の基盤整備に留め、
花博開会中も終了後にすぐに撤去可能な仮設施設のみの利用としています。

私は欧州海外事情調査団の一員としてオランダで10年に1度開催されている
フロリアード2002を視察させていただきました。
私がここで会場の跡地利用について質問をしたところ
元々牧草地であった場所を市が借りて、 園芸博覧会を開催しているが、
終了後は記念となるモニュメントを残して、その他は牧草地に戻すとの事でした。

また1997年に視察したドイツの花博ブンデスガルテンショーの会場は
有名なルール工業地帯の製鉄所の跡地を利用し、
終了後は公園と住宅やオフィスビルが建つ市街地へと再開発されるとの事でした。

浜名湖花博の翌年に開催される愛知万博の会場選定にあたって明らかになったように、
博覧会等の大規模イベントの開催には周辺の環境への十分な配慮が必要であります。
幸いにして浜名湖花博の会場整備は、
元々埋立地であった平坦地で、畑や耕作放棄地地となっていた所ですので、
環境への大きな負担は避けられましたが、
環境への配慮とは終了後の跡地利用まで考えるべきだと思います。

2004年に浜名湖花博に訪れる500万人の人々にこの会場の跡地が
どのように利用されるのか自身を持って説明していただきたいと思います。
西側区域22haの利用をどのように考えておられるのか伺います。


【一般質問3に対する答弁:総務部長】---------------------------
浜名湖ガーデンパークの整備についてのうち
はじめに現在の整備状況についてお答えいたします。
平成11年度に基盤造成工事及び公園樹木の植栽工事に着手し、
これまでに会場内の橋梁、園路等の土木工事。展望塔の建築工事等を進めてきております。
このうち、基盤造成工事は、ほぼ完了しており、植栽工事も順調に進んでおります。
今年度は、残る主要施設である屋外ステージ及び園芸文化館の建築工事等を発注してまいります。
また、その後は会場施設として各種パビリオン、庭園、花壇等の整備に順次着手することとしており、
いずれの施設も、平成15年度までに完成する予定であります。

次に、跡地の利用についてであります。
浜名湖ガーデンパークについては、浜名湖の自然を生かす中で 、
園芸や庭園などに親しめる快適空間の整備を目指しております。
西側区域の跡地利用につきましても、こうした目的を踏まえながら、
その有効な利用のあり方を検討しているところであり、
今後地元の市や住民の皆様のご意見を伺うとともに、
民間活力の導入も視野に入れながら検討してまいりたいと考えております。


6月県議会 7月1日(月)一般質問 答弁

『都道府県と政令指定都市』

都道府県と市町村との関係時に政令指定都市との関係について伺います。

今議会に静清合併の承認の議案が提案されており、
議決されれば来年4月の新静岡市の誕生、
そして平成17年4月を目途に、政令指定都市移行に向けた取組みがなされます。
まずそこで、警察や高校教育などを除き、
ほぼ静岡県と同等の機能を有する政令指定都市が誕生するのに伴い、
児童相談所の設置や国県道の管理などの様々な権限の移譲が行われます。
この時に県の歳入への影響をどの程度と試算しているのか。
さらに県職員定数と県庁組織の変更をどのように想定しているのか伺います。

さて、私の住む浜松市でも
遅ればせながら経済界から政令指定都市を想定した市町村合併の案が提示されました。
今後の議論の高まりを期待しているところですが、
都道府県と大都市との関係については古くは明治の時代から論争が続き、
幾度かの制度の変遷を経て現在の東京都23区と政令指定都市となっていますが、
一言で言うなら大都市を都道府県の中に置くのか、独立させるのかとの議論でありました。

例えば、お隣りの神奈川県では849万人の人口のうち55%、
つまり県民の半分以上が政令指定都市である横浜市と川崎市に住んでおり、
大県である神奈川県も2つの政令指定都市が独立すれば、
人口でも我が静岡県とさほど差はなくなりますし、
各種の経済指標では、我が県の方が上位に位置する分野が多くなることは明らかです。

議会の視察で政令指定都市を訪問させていただく時、
私は非公式の場で若い職員の方に道府県と政令指定都市の関係について聞くことにしています。
ほとんどの方は就職先として、道府県と政令指定都市の両方に合格したが、
政令指定都市を選んだ、それは転勤の煩わしさが無いのはもちろんだが、
政令指定都市の方が住民の身近なところで、しかもダイナミックな仕事が出来ると答えます。
この事は、国と地方の関係以上に都道府県と市町村の関係も
上下主従の関係が根強いと言われる中で
都道府県と政令指定都市の間ではこの関係がすでに逆転していることを実証していると思います。
道府県の役割は政令指定都市以外の小規模市町村を補完するのが役目であり、
政令指定都市は自分達でやっていく人だという強い意気込みを感じます。

都道府県と政令指定都市における文化施設やスポーツ施設の二重投資の問題は、
現在の静岡市内でも多く見受けられますが、
新市の建設計画には美術館や博物館、オペラハウスなどの計画が目白押しであり、
二重投資が一層進む懸念がありますし、道府県の事務が限定されているにも関わらず、
人口配分の多い政令指定都市の道府県議会議員の必要性などの課題は、
課税あればサービス有り、課税あれば代表ありという現在の制度によるものであり、
政令指定都市が道府県から税財源を持って独立すれば
おおむね解消されるのではないでしょうか。

今、新静岡市が政令指定都市になることを目前に控え、
浜松地域もそれに続こうとしている時、
都道府県と指令指定都市の関係についてお考えを伺います。

この問題の最後に、国と地方の望ましいかたちについて伺います。

私は現行法の仕組みが今後も続いていく、
つまり国が権限も税財源も手放さないのならば、
住民サービスは住民の1番身近な市町村で行われるのが望ましいことを考えるならば、
現在の国、都道府県、市町村の三層構造を最も効率的にするならば、
中間つまり都道府県が無くなってしまう事が究極の行政改革だと考えてきました。
また道州制や連邦制の議論については
もし導入するにしても必要最小限に留めるべきだと思っています。

我が国は強大な官業国家です。

言い換えれば統制下にある社会主義化国家とも言えるでしょう。

民の力を大いに発揮できる仕組みを作るとともに
国と地方の新しい形を作り上げる動きがスタートしたと思います。
様々な抵抗を乗り越え、この国の将来にふさわしい国と地方のかたちを実現したいものです。
望ましい国と地方のかたちをどのように考えておられるのかお伺いします。

【一般質問に対する答弁:総務部長】-----------------------------------

国と地方のかたちについてのうち、都道府県と政令指定都市についてお答えいたします。

まず、新静岡市の政令指定都市移行と県の歳入及び組織定数についてであります。
 新静岡市が政令指定都市に移行した場合、
県から市へは、指定区間外の国道や県道の管理、
児童相談所の設置、管理事務などが法定移譲されますが、
その他に県独自の権限移譲についても積極的に検討してまいりたいと考えております。
このような事務事業が県から市へと移譲されることに伴い、
その財源となる地方道路譲与税や国庫支出金等の減が予想されるとともに、
事務を所掌する出先機関の組織体制などについて影響があるものと考えております。
このため、県といたしましては、本年4月に設置した「静岡県行政経営会議」において、
新しい静岡市の政令指定都市移行を視野に入れた
出先機関のあり方などについても検討することとしております。

それから、都道府県と政令指定都市の関係でありますけれども、
これは小楠議員がいろいろ具体的な事例なども踏まえてお取り上げいただいたように、
都道府県の中におきます政令指定都市の存在は、
非常にどう評価していいのかわかりにくい制度になっている事は事実であります。
私は、その後でお触れになりました国と地方の望ましいあり方との関連で、
すなわち我が国の内政の統治構造、統治機構のあり方、
これをこの際、再設計をするという観点で
この政令指定都市の問題も議論をすべきではないかというふうに思います。
その際に、実はこの国の統治機構のあり方については、
長い議論の歴史、積み重ねがあるわけでありまして、
理論的な面で言いますと何を選択したらいいかという選択肢は
それぞれに色々なもっともらしいと言ったら語弊がありますかね、
もっともな論拠を元に様々な考え方が提示をされております。

小楠県議がご紹介のような都道府県という中間団体をやめてしまって国と市町村、
その市町村もできたら300位、あるいは300〜500の都市にまとめてしまうという案から
道州制まで色々な議論がございます。

問題はもう既にこれから議論を蒸し返しにするのではなくて、
これまでもさんざっぱら議論がされてまいっておりますので、
それらを整理をして、その中でどれを選択するか、
もう選択の段階に来ているのではないかと私は思うのであります。

そこで、そういう観点で私は考えますと
国と基礎的自治体である市町村、これもできるだけ自治能力の高いような形式にすべきだと、
その上に立って中間の広域的な行政組織、統治機構がいるかいらないかということを考えますと
私は必要ではないかと、それがいわゆる道州という名前になるのかブロックというふうに呼びならわすのか、
これは人によって様々でありますけれども、
私はある一定の範囲の国内をいくつかのブロックに分けて、
そのブロック単位にある程度地域のあり方を構想し、
それの実現の手段をそれに併せて組み合わせて実行していく、それが必要ではないか、
そういう必要性がもしあるというふうに国民が感じるならば、
これは政令指定都市がいかに大きくなろうとも
その範囲を超えた行政ということになってくるわけであります。

その意味の広域行政をどういうスタイルでこれを実現するのか、
中央省庁の出先機関タイプでやるのか、
地方分権タイプでやるのか2つの選択肢があると思いますが、

私は分権タイプでやるべきだと、

それが都道府県制の拡大した
私が提唱しております政令県のようなスタイルでやるのか道州制でやるのか、
その選択の問題ではないかというふうに思います。
静岡県からは少なくとも政令県タイプの議論を巻き起こす私は立場で、
県内では指定都市をたくさん誕生させ、都道府県を事実上空洞化して、
さあ都道府県をどうしてくれる、
都道府県制度を考え直さなければいけないのではないかという状況を作って行くべきではないか、
その最先端に今あるというふうに私は感じまして政令県構想を提唱しながら、
一方で県内の政令指定都市誕生を期待し、
そういうことを公にいろいろ述べているところでございます。
 この地方自治体のあり方、あるいは国内の統治構造のあり方についても、
もう私は論より実践の段階に来ていると思います。
是非、小楠県議におかれましても色々憤懣やるかたない思いでご発言がございましたが、
是非実践的にどうしたらいいかという観点からまたお力添えもいただきたいと思います。


6月県議会 7月1日(月)一般質問 答弁

『国と地方の関係』

今、国と地方自治体との関係が大きく変わろうとしている予兆が感じられ、
ごく近い将来現実のものになることを私は大きく期待しています。

5月21日の政府の経済財政諮問会議は、
片山総務大臣による5兆5千億円にのぼる地方への財源を移譲する私案の発表の場となり、
続く6月7日の経済財政諮問会議は、
首相指示の形で福祉、教育、社会資本などの国庫補助負担事業の廃止、
縮減の結論を年内に出すとともに、交付税見直しと税源移譲を3位1体で検討し、
1年以内にとりまとめることとしました。この動きに歩調を合わせるかのように、
昨年7月に地方分権推進委員会の後を受けて発足した地方分権改革推進会議では
6月17日に発表したその中間報告で、地方を国の関与、規制から開放し、
権限と責任を大幅に拡大するなど国と地方の適正な役割分担をすべきとして、
目玉には、経済財政諮問会議と同様に、国庫補助金、交付税、
税減移譲を検討することが盛り込まれています。

さらに本日、21世紀の地方自治の在り方を検討している第27次地方制度調査会は総会を開き、
基礎的自治体の在り方、都道府県の在り方、地方税財政の在り方など、
5項目を今後審議していき、来年11月までに答申を取りまとめることを決定すると聞いています。
国と地方との在り方が大きく変貌していくことでしょう。

そこで、何点か伺います。
まず、地方分権一括法と中央省庁再編についての評価です。

地方分権一括法は、
大騒ぎをして計475本もの法律改正を行ったものの
蓋を開けてみれば機関委任事務が自治事務と法定受託事務に整理された事と、
地方事務官制度が無くなったのが目立つ程度で、
期待された税財源の移譲は見送られ、全くの期待はずれに終わりました。

中央省庁の再編については、その数が1府21省から1省12省庁へと減りましたが、
その持つ巨大な権限も人もポストも温存され、何ら変わっていないのが現実であり、
私は中央官庁が本気で地方分権を進める気は無いのだとこの時はっきり理解しました。

この地方分権一括法と中央省庁再編についての評価を伺います。

次に国と地方との関係について伺います。
これまで様々な行政サービスを支える税収の配分は国6に対して地方4。
一方で行政サービスに使われる支出は国4に対して地方6。と全く逆になっています。
このギャップを埋める事が地方の悲願だったと言っても良いでしょう。

国の財源を握ることによって他の事業官庁ににらみをきかせてきた
旧)大蔵省と地方自治体の代表といっておきますが、
旧)自治省の争いであったとも言えます。
地方自治では、票にならない為、国会議員の応援を望むべくも無い自治省と、
配下にある事業官庁と組んで、
予算というおいしい餌で国会議員を籠絡洗脳してしまう大蔵省とでは、元々勝負になりえません。
私達の同僚で県議会から国会へ転進した方々もいく人かおられますが、
国会議員になった途端、地方の代表ではなく国と中央官庁の擁護者に変わってしまうのを見れば
今日までの国と地方の関係が、上下、主従の関係であり続けたのもさもありなんであります。

私達地方議員こそ、声を大にすべきです。

そこへ地方への追い風が吹いたのは、大蔵省から始まった中央官僚の不祥事の数々でありますが、
それより何より危機的な状況にある国と地方の財政への
国民の不安がこの国の形を変えようという動きを後押ししたと言えると思います。
そこへ登場したのが、片山議案であり、経済財政諮問会議の首相指示となって表れております。

そこで税財源から見た国と地方の関係についての
考えと片山試案に対する評価について伺います。


【一般質問に対する答弁:県知事】-----------------------------------
 小楠県議にお答えをいたします。
国と地方の形についてでございますが、ご質問の途中でいろいろ述べられたご意見とか、
現在の地方自治制度についての批判的なお考え、
これについては私も大変共感を持って拝聴いたしました。
大変そういう観点で同じような思いの方がいらっしゃるということで
心強く思った次第でございます。逐次お答えいたします。

まず、地方分権一括芳と中央省庁再編への評価についてであります。
この地方分権一括法でありますが、大きくかかげられた看板の割には、
実態を伴わない期待はずれといいますか、
拍子抜けの結果であったというふうに私は感じております。

権限を国から地方、それも都道府県、都道府県から市町村へ降ろすということは、
形式上大変な改革をやったように見えるわけでありますけれども、
実際に地方行政を推進するうえで、
権限の行使についてさほどの不自由は感じていなかったというのが実態であります。

法律に基づく行政を執行する場合は、法律はできるだけ基準を明示しております。
しかも、昨今の風潮としていわゆる行政指導に対する厳しい批判があります。
行政指導の名の下に何が出てくるかわからないような格好で基準が決まるのはおかしいという、
そういう国民の批判といいますか見解をもとに、
できるだけ基準は明示をするという方向へ昨今は動いておったわけでありますので、
そういうことを前提に考えますと法律で地方の権限がいろいろ規定されておっても、
予め明示されておるわけでありますので、
権限の行使に当って分権の観点から不自由があるというようなことを
実感するケースは少なかったわけであります。

主務大臣の制度としては、
主務大臣のいろいろコントロールが及ぶという建前になっておりますけれども、
国会でいろいろな入念な審議をもとに様々な執行に当っての基準、
これが法律とか政令でかなり具体的に明示されてくる限り、
地方において制約を感ずることは少ないわけでありまして、
ならば、なぜ地方自治の観点から国の中央省庁のいろいろな規制や関与について
批判があったかといいますと、これはほとんどのケースが財源の大半をあるいは、
地方にとって決定的と思われる財源の付与が国からされてくると
毎年毎年の国の予算編成でされてくる、そこに問題や不満の原因があったわけでございます。

地方分権一括法の施行にあたりましては、
そこの一番の本丸にはほとんど手が着いていなかったわけでありますので、
そういう点で地方分権一括法が華々しく分権に資するというような取り上げられ方をした割には、
実感がなかったというのが正直なところでございます。
機関委任事務の廃止とか様々な国の関与の職員配置という制度上の問題は、
そういうことであったというふうに思います。

そこで、2番目の片山試案への評価へも関連するわけでありますが、
今回やっと本丸でありました税財源の配分の問題に具体的に踏み込んだという点で
この片山試案は評価をすべきものだと思います。
理論上は仕事と税源の配分が1対1に対応する、
仕事が地方6、国が4であれば、
地方に財源も6、国に4というのがこれは理論的にはその方が正しいかもしれませんが、
一方で我が国の税源の偏在、地域偏在ということを考えますと
交付税、現在の交付税、将来はどういう名前の財源偏在調整機能ですね、
これがどういう名前で呼ばれるかわかりませんが、
少なくとも国において財源の地方間の是正の財源、最終的には地方に行くわけでありますので、
これを持っておくということは避けられないと思います。
そういう意味でいきますとかなり腰だめ議論になりましょうけれども、
国と地方の税財源の配分が1対1というのも、
かなりいいところを突いているのではないかというふうに思うわけでございます。

今後は、せめてこの片山試案の国地方1対1の配分決定に向けて、
政府が具体的な政策決定をしていくことを期待しているところでございます。


10月31日〜保育推進連盟での講演より抜粋〜

『第2東名』NO.1

実は、私、昨日一昨日と岐阜県へ行ってきました。
東京大学名誉教授のノーベル賞を貰われた、
小柴さんが 研究をした場所、
岐阜県と富山県の境(奥飛騨なのですが)神岡町という所に、
亜鉛を掘っていたのかな?鉱山の跡の所に大きな穴を掘りまして
そこに水を溜めてニュートリノ・・まあ専門ではないのでなんですが、
『カミオカンデ』『スーパーカミオカンデ』と今2つの施設があるのですが、
それを見せて貰いました。

静岡県の企業ですが、光を捉える大きな目玉。電球みたいな物なのですが、
光る電球と光を捉える電球。
光電子増倍管といいますが、これを一括で作っているのが
浜松に本社がある「浜松ホトニクス」という会社ですね。
株が随分上がったらしいのですが、2日位上がらなかったんですよ。
私もそう思って新聞を見ていましたが。
小柴先生の仕事を支えた技術力のある企業が
この静岡県内にあるというような事で昨日見せて頂いた訳ですが、大変でした。

行きは浜松西インターで高速道路を断念しまして、
下の道に下りまして、トコトコと257号線という国道を走りまして、
恵那から高山へ行き、そして神岡町へ、西インターから7時間ずっとバスの中。
嫌になってしまいますね。
その位、今、東名は集中工事でのろのろ運転が続いております。
その東名の渋滞緩和の為に第2東名第2名神というのは計画をされた訳です。
ですけど、これ凍結したらどうだ?と言われているんですよ。
止めてしまえという声が結構強いのです。

何故そういう話になってきたか?小泉さんの改革というのは、
入口の議論と出口の議論があるのです。
入口というのはお金の入口。
皆様方の税金と借金で日本の国の仕事は賄っているのですが、
実はもうひとつの予算と言われているのがあります。
財政投融資というものです。
“財投”と俗に言われています。これどこから来ているかというと、
皆様方が郵便局に貯金をした郵便貯金。あるいは簡易保険。
このお金を使っているのです。
これが第2の予算と言われていまして、
通常さっき説明したしくみとは別に使われているのです。
どこに使われているか?使っている所はいわゆる役所の外郭団体。
公社・公団という所で使っているのです。

第2東名の工事を今していますが
あの工事の予算は国土交通省の1年間の予算には入っていないのです!
この財投資金というのは公社・公団などにいってしまうんです。 解かりにくいですよね。
そういう事になっていて小泉さんの構造改革の議論というのは、
入口の郵政、まあ郵政改革で来年から公社になる事が決まっていますが、
このお金の入口を改革しようという事で郵政の問題にメスを入れる訳です。

そして、もうひとつはお金の出口。
外郭団体と呼ばれる公社・公団という、
出口の方も改革をしていこうというのが小泉改革です。
その中で出てきたのが、この公団のひとつ。
道路関係の公団は4つあります。
ひとつが、一番大きいですが『日本道路公団』
もうひとつは東京を走っている『首都高速公団』
そしてもうひとつは大阪を走っている『阪神高速公団』
そして4つ目が橋を3つも架けてしまった『本州四国連絡架橋公団』。
この4つを改革しようという事で民営化推進委員会が8月の末位にありまして、
中間報告を出しました。
最終報告は11月末か12月の頭にと言われているのですが、
ここで道路公団を中心とする公団を民営化しましょう、
あるいは地域ごとに分割したらどうだという議論を今している訳です。

10月31日〜保育推進連盟での講演より抜粋〜

『地方発 この国のかたちを変える』NO.1

今日の新聞のトップニュースは、
日本の国の経済を立て直す為に政府がデフレ対策と不良債権の処理を進めるという
総合経済対策というのを打ち出したと。日銀も更なる金融緩和を行うという、
政府と日銀が一体となった施策が取られるという事が新聞の一面を飾ったのです。
もちろん北朝鮮との日朝交渉の記事もありましたが、
これにかき消されてしまった皆様方と関わりのある事が昨日発表されたのです。

それは、政府が行っております「地方分権改革推進会議」という所が最終答申を出したのです。
昨日の夕刊は全部の新聞ではないですが、一面扱いの所が多かったです。
本当なら今日この問題が大きく取り上げられるはずだったのですが、小さくなってしまいました。
地方にいる私達にとっては非常に関心が深い、そして期待をしていた答申だったのです。

まず、皆様方に関わることから申し上げますと、
保育所については、国の関与が強すぎるので今の国庫補助について見直すべきだ
というような文言が盛り込まれています。
それと同時に幼稚園と保育所の制度を一元化(幼保一元)が出来ないか
というような事が書かれています。
更にその関連として、保育士の資格と幼稚園教諭の資格を、
これまた一本化出来ないかというような文言が書かれています。
更に細かな話ですが、
現在保育所の施設整備にあたっては給食室の設置が義務付けられていますが、
この義務付けも取り払ったらどうだと。
止めてもいいのではないかという事が書かれていまして、
国、政府の最終決定ではないですが、 かなりの重みを持ちます。

これについては、まだ連盟の皆様方や県当局とすり合わせをしてませんし、
まだ私も新聞の概要を見ただけですので、
これが今後どうなっていくのか、
あるいはどうしていったら良いのかということはこの場では今日申し上げられませんが、
国と地方のかたちを変えようという風にやっているのが、
実はこの「地方分権改革推進会議」という所だったのです。

どういう事かと言いますと
たまたま今、皆様方の関係の事だけ申し上げましたが、
新聞に大きく載ったのは義務教育の国庫負担が今3兆円位ありますが、
これを5千億円位減らすというのが新聞の一面の見出しに載りましたけれども、
国と地方のしくみ全体を見直すという事をここでやっていたのです。それはどういう事かというと、
今皆様方には色々な形で税金を納めて頂いています。
市民税、県民税、国税である所得税、消費税も払っています。
たばこやお酒にも税金かかっています。
色々な形で税金を払って頂いているのですが、
この税金がどこへ入るのか。
この比率は、国が6割県や市町村を含めた地方が4割です。
今こういう税収の入り具合なんですね。


2003年5月8日(木)

3期目の抱負

多くの皆様のご支援をいただき、
3期目の任期が4月30日よりスタートしました。

1期目の4年間は、バブルは崩壊したものの、
静岡県の大規模プロジェクトの実施、推進に向けた前向きな仕事をしてきたと思います。
特に、来年開催される『浜名湖花博』は、この時に計画されたものであり、
来年が大変待ち遠しいです。

2期目は、不況の影響が県税収入に大きく表れ、
税収不足を県債の発行で補うという苦しい予算編成を強いられる状況下で、
行財政改革を推進してきた4年間と言えます。
私自身としては、文教警察委員長として、公立中高一貫校をスタートさせるとともに、
治安の悪化が進む中、警察官の増員の仕事に携わった事と、
総務委員長として、静清合併等の市町村合併に立ち会うとともに、
公金の管理の適正化を図りました。
また、近く予想される東海地震に備えた地震防災対策に携わった事が印象深いです。

さて、これからの4年間は、
景気回復の見通しが立たない中で、さらなる行財政改革を進めねばならないと考えます。
具体的には、2年後の静岡市の政令市移行と4年後の浜松地域の政令市移行を実現させることで、
県の仕事と人を政令市に移譲する事により、県そのものをスリム化させる事が重要だと思います。
当然の事ながら、議員定数の削減にも踏み込む事になるでしょう。
また、県有施設の管理など民間に任せられるもの(アウトソーシング)は、
積極的に進めていかねばなりませんし、PFIの導入も実施段階に来ました。
また、大規模プロジェクト関連の投資が終了するので、
県民生活に重点を置いた投資を推進していくこととなります。
私としては、選挙中に申し上げてきた
国と地方のかたちを変える10年がスタートした年だと認識しています。
中央官庁の壁は厚いと思いますが、
地方が元気でなければ、この国は元気なはずはない!
という信念でこの4年間県政に取り組んでいきたいと思います。